絨の独り言

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チャンスがあれば海外に行くという姿勢について

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どーもどもども絨です。

大学の学部時代に東南アジアのタイという国に海外インターンという形で行ったことがある。

そのことについて早く記事という形にしようと思っていたが、ダラダラ今まで書かないという暴挙に出てしまっていたので、流石に文章化しつつ纏めてみることにした。簡単に言うと、インターン中はボロボロ、帰国してから徐々に成長という感じである。

「自分の実力的に海外は不安、、、でも行ってみたい気持ちもある」なんて方も多いと思うので、興味があれば読んでみてほしい。

 

まずは私が海外インターンに参加した経緯を思い出してみると、単純な「どこか遠くへそこそこの期間行きたい」という気持ちがきっかけだった気がする。大学時代は実家住みだったこともあって、親元を離れて生活するのに対してかっこよさを感じてたのもあったかもしれない。

このように、経緯が経緯なだけに、海外へ行くための準備も殆どせずに海外へ飛ぶこととなった。

今でも鮮明に覚えているのは、渡航前の私自身の(語学や海外企業で働く上で必要な専門知識といった)実力の皆無っぷりだ。

 

海外インターンに参加するためには、幾つか方法があるが、私は大学経由で参加することにした。そのためには、大学にいる海外インターン担当教員と面談を経て行き先を決定し、お世話になる企業に自分自身のCV(俗に言う履歴書)を英語で書いて送る。

CVの中に書かれた520点というTOEICの点数を見て、担当教員が目を曇らせた。

 

 

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というレベルであった。

こんな状態で海外に行ったことを頭の片隅の片隅に入れておいて貰えると幸いである。

 

因みにではあるが、現在私は大学院を卒業し、就職しているので、記事にしようと思ってから何年経ってるか数えるのは精神衛生上やめた。

 

 

 

目次

 

1. 何の爪痕も残せなかった

まず最初に言っておきたいことは、結局私は海外でインパクトはおろか、何の爪痕も残せなかったことだ。今思い起こしても、ただただ現地の優秀な皆さんに大変なご迷惑をお掛けし、色々とサポートをして頂いたことだけが脳裏をよぎり、私自身が何かをしたという記憶がない。私の英語力(特にアウトプット)が酷かったこともあり、サポートすらも現地の人にとっては難しかったことは今となっては容易に想像出来る。

「それでもサポートして頂いたなら何となく形にはなったんじゃないのか」という声が聞こえて来そうではあるが、残念ながら形にすらならなかった。私の実力が無さすぎたことで、結局説明されれば誰でも出来るようなレポートを数ページ書いただけである。

そのレポートというのも、私みたいな人がインターンに来たことで、私の大学がインターン先からの信頼を失い、来年からインターンを受け入れなくなることを防ぐために必要なレポートであった。つまり、私は大学の海外インターン担当教員からもインターン先からも「失格」の烙印を押されたのだ。(面と向かっては言われなかったけど、雰囲気が物語ってた)

他のインターン生は色々担当教員から他のインターンを勧められたりもしていたけど、私だけ何のお誘いも無かったので、私の認識は間違っていないと思う。

 

普通の海外挑戦系の記事は、最初はダメダメだったけど海外で色々経験を積み、成長して帰ってきた系の記事が多いように感じる。しかし、述べた通り私の場合は海外ではコテンパンに「失敗」し、ボロボロで帰国している。なので、これから海外インターンに参加してみたいと考えている方は、現実は甘くないことも重々承知しておいてほしいし、どうしても海外にいる内に結果を残したいのであれば、日本にいるうちにある程度の準備も必要になると思う。

 

 

2. それでもポジティブなことは多い

2.1 慣れてないこと•苦手なこと を通して自分自身を客観視

 人って自分が得意なことばかりしがちだと感じていて、私も例外なく得意なことばかりやってきたように思う。勉強得意な人ほど、アルバイトも塾講師とかばかりやっているように思うし、得意なことが明確になりすぎていない人ほど接客業や講師、調理など色んなバイトをしているように思う。今の私の仕事も正に得意の延長線上で、それは決して悪いことではないとも思う。ただ、同時に視野が狭くなったり、出来ることが少なくなるという欠点がある。

この前駅の構内を歩いていたら近くの人がこんなことを話してた。

 

 

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駅で話してた近くの若者のセリフより引用

 

 

と。

おお、すごいな。私なんて仕事から帰ってきたら泥のように寝るだけなのに、なんて思いながらポジティブなオチを予想して話の続きに耳を立て続けたところ、

 

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駅で話してた近くの若者のセリフより引用

 

と。まさかの予想と全く違うオチに驚きつつも、確かにそうなるかもなあと妙に納得をしてしまった。 

率直に言って、海外インターンに参加するまでの私は、大学も勉強やって成績取れればそれでいいと本気で思っていて、バイトも塾講師と勉強関係一色だった。家事もあまり手伝わないし、親も勉強だけはやっているからか特に何も言って来なかった。大学に入ってちょっとして恋人と別れてからは恋愛も億劫になり、本当にただの勉強関係従事マシーンと化していた。その状態を保てていたのは、「勉強が人よりは少し出来る」という精神的支柱に依存していたからであろう。

ここで、代ゼミの超有名数学講師で、接点tにキレることで有名な荻野暢也の言葉を載せる。

大学に入ったらやってほしい3つのこと

1. 友達をたくさん作ること

 4年間麻雀を同じメンバーで打ち続けて、3人しか友達が出来なかった、なんてことのないようにしてほしい。

2. バイトをすること

 家庭教師とか塾講師を君たち(予備校の教え子たち)が人より上手くやるのは当たり前。普通のバイトをやってほしい。そして君たちは傷つくことになる。

3. 女にフラれること

代ゼミ接点tの講師 荻野暢也の言葉より要約して引用

友達作りにしても、勉強関係以外のバイトにしても、恋人にフラれることにしても予備校の受験生からすれば、決して率先してやりたいことではないだろう。それでも荻野暢也が勧めるのは、一つに視野の広さの確保はあるだろう。先ほど述べた過去の私のように得意なことに依存する人間にならないように、大学のうちに慣れていないことや苦手なことも経験しておきなさいと言う意味合いもあると感じる。

海外インターンでは、日本語ではない言語で様々な方々とお仕事を進めていく。その際に文化や言語の違いだったりで失敗を沢山経験する。週末になれば、バンや電車に乗るだけでも一苦労だ。分からないことを駅員や運転手に一々聞いたり、タクシーの値切り交渉をしたり、物を取られそうになって喧嘩したり、近くのショッピングモールでテロがあったり、食べ物がまずくて、現地の優しい人の前で吐きそうになったりと、日本で経験し得ない様々な経験を通して、自分自身の苦手な部分を客観視することが出来る。日本でたまに失敗する程度だと感情が先に来てしまって客観視が難しいが、海外では失敗がデフォルトなので一々落ち込んだりしなくなる。なので、客観的視点で自分の苦手な部分を実感できるのだ。その結果、視野が広くなる。

色々と経験してきた上で、とある分野のスペシャリストになると決めたのか、それともそのまま狭く深くなったのかでは大きな違いがあるように感じる。数十年の人生の中で、慣れてないことや苦手なことをして視野を少しでも広くする。そんなフェーズがあっても良いように思う、数時間飛行機乗って、決まった期間を日本じゃない所で過ごすだけなのだから。

 

2.2 普段の「失敗」を失敗と捉えなくなる

先ほど述べたように、海外では失敗がデフォルトなので失敗に慣れるという理由もあるが、見た目も言語も違う人しかいない世界だと、日本では周りの目を気にする人でも気にしなくなるように感じる。まさに私がそうだった。

見た目も言語も違う場合、どうしても共感するアビリティが落ちてしまう。そのため、日本語で日本人と話すときに比べて、相手に気を遣ったりしなくなるし、海外は日本ほど気を遣う文化もないので、ちょっと語弊はあるが強気で行動しやすくなる。また、海外の方とは期間が決まった付き合いである。仮にかなり恥をかく行動を取ったとしても、結局は日本に帰国するので「まあいっか」と思えてします。匿名になると強気になる場合のリアルバージョンと表現すると分かりやすいかもしれない。

例えば、日本だと何か分からないことがあっても聞きにくいこともあるだろうけど、海外ではとりあえず聞けるようになる。ここでうまく英語で質問できなかったとしても、それを失敗と感じることなく聞き直すことが出来る。日本にずっといた場合、こういう機会はまずないだろう。

そういった経験を積めたお陰で、電話や質問といった何となく苦手だった行動を躊躇いなく出来る様になった。

というわけで、失敗を失敗と捉えなくなることで、苦手だったものが帰国後に普通に出来る様になって行く訳である。この精神面の大きな変化には私自身も帰国後に驚いた。

 

2.3 小さな成功体験を積み重ねられる

ちょっと辛辣な例えになってしまうが、仮に英語もあまり出来ない、専門知識もしっかりあるわけでもない、見た目も普通だったとしよう。その人は海外に行った自分自身に何か期待するだろうか。何も期待をしないことで、成功の定義のハードルが下がり、ちょっとしたことで成功と感じるのである。

私自身の経験で言えば、自分の拙い英語が伝わっただけでもかなり嬉しかった。後は自力でバンや私鉄に乗って、目的地になんとか着いた時も本当に嬉しかったのを覚えている。

このように、失敗の連続により自分に対しての期待値やハードルが下がり、ちょっとしたことで成功体験を詰めるのは後の自分自身に対しての自信につながる。

「あんなにボロボロだったけど、自力で目的地に辿り着けたし、生きていける。本当に何とかなるもんだなあ」

こう捉えることが出来た人間はおそらく強い。大したことは何一つしていないけど、でもちょっとした成功体験の蓄積によって満足感を得ている。この経験が、その人を新たな挑戦へと導いてくれるのだから。

 

3. 海外に行くチャンスを逃さないで

上記の通り海外生活は結局ボロボロで、びっくりするほど爪痕すら残せなかった私であるが、大学院の研究は成果が認められ専攻で2番目の成績で卒業、就活も第一志望に内定、いつの間にかに恋人も出来たことで恋人と一緒に就職のため引越しと、悔いなく学生生活を終えることが出来た。特に嬉しかったのは、大変ご迷惑を掛けた海外インターンシップ担当教員の方に成長した姿を見せることが出来たことである。

その背景には、本記事でまとめた海外での経験があったからなのは間違いないだろう。「殻を破る」と言う表現を細かく描写すると本記事のようになるのかなと思ってみたりみなかったり。

大学生にしても社会人にしても、少し能動的に行動を起こせば海外に行くチャンスはきっとある。自分の周りにある使えるリソースはガンガン使って、例えボロボロになることは分かっていても飛び込んでみてほしい。

勿論トラウマになって心がポッキリ折れてしまっては元も子もないので無理にとは言わない。

私自身も再び海外挑戦して、今度こそは少しばかりの爪痕を残してやろうと画策中である。