絨の独り言

誰かしらの参考になれば嬉しい独り言をネット上にアップロードしている

MENU

不言実行のすすめ

どーもどもども絨です。

 

f:id:mathpacejyu:20210714231412j:plain

 

突然ではあるが、私は航空宇宙分野の仕事に従事している。

言ってしまえば航空宇宙分野に対して昔から興味や憧れがあり、大学・大学院は航空宇宙工学専攻であった訳でも無かったが、ご縁があって働かせて頂くことになった。

入社してから幾分か経つので、私のような別に何か尖った部分が無いような人間が、どのような経緯で今の状況に落ち着き、どのような理由で運を引き寄せたのか考えてみた。

端的に言ってしまえば、私は短期的・長期的未来の目標を公言せず、目標を達成出来るように周りの人に悟られずに行動する癖があり、それが運を引き寄せる一因になっているのではないかという結論に至った。そのような行動を取り始めた経緯も思い当たりがある。ネットや誰かから情報をインプットしたというわけでは無い。

勿論私自身は著名人に比べて大した成果を挙げたとは到底思っていないので、もし興味があれば一読して下さり、何かしらのtipsがあれば幸いである。

文章だけでざっと書いてみたものの、読みにくい(文才0)なので流石に目次を付ける

 

 

 

目次

 

1. 本田圭佑内田篤人

サッカー日本代表本田圭佑内田篤人と言えば、日本では有名なスポーツ選手ではないだろうか。

本田圭佑といえば「有言実行」•「ビックマウス」のイメージが強いように思う。あえてメディアの前で目標を明言し、自分自身を追い込んでいく。これが本田圭佑を象徴する特徴であろう。

では内田篤人はどんな人物だろう。ご本人の著書「僕は自分が見たことしか信じない」の中で彼は以下のように述べている。

 

目標は自分だけが知っていればいい。
そこに向かって努力するのも自分だし、達成できなかったときに悔しい思いをするのも自分。
だから目標を周りに知らせることはないでしょ、っていうのが僕の考え。
もちろん、そこに至るまでの苦労を見せる必要はない。毎日、地道に淡々とやって、結果だけ出しときゃいい。
不言実行
それが一番カッコいいから。

内田篤人「僕は自分が見たことしか信じない」より引用

 

 

この言葉を知った時にとても前向きで裏表のない印象を受けた。やはりスポーツ選手といったところだろうか。メンタル的なタフさが言葉の節々に滲み出ている。

このように、本田圭佑内田篤人は試合だけを見てても日本代表のチームメイトとしか感じないが、実際は真逆なのだ。本田圭佑が有言実行界の日本代表なら、内田篤人不言実行界のサッカーA代表であろう。

 

ここで本題に入っていく。本田圭佑の有言実行は勿論強力なメンタルがもたらす賜物であるのに間違いはない。けれどもそれだけではないと感じている。

それは、有言し続けることであえて自分を奮い立たせていることである。あえて逃げ道を取っ払い、周りからの期待をたった1人で背負うのだ。

つまり、本田圭佑にとって有言実行は手段だ。

このことを、どこかのインタビューで本人が言及していた気もするし、私自身もそう思う。

 

対して内田篤人不言実行は彼の中の理路整然としたルール•美学そのものだ。目標はあくまで自分のものであり、わざわざ周りに公言なんてする必要ない。しかもかっこいい。

不言実行していると有言しているじゃないかというパラドックス的ツッコミはご遠慮ください。

ただ不言実行をすることによる恩恵はこれだけだろうか?内田篤人にとって不言実行は美学であり、彼の理想なのかもしれない。でも、私にとって不言実行は手段である。

 

 

 

2. 厄介な期待に苦しむ先人達

 ここでは、新しくSASUKEの山田勝己長野誠を例に考えていく。SASUKEを知っていても山田勝己長野誠をご存知ない方も多いかもしれないが、TBS系テレビ番組「SASUKE」の初期~中期を支えた人と言えば上記の2人であるのは間違いないであろう。

 

「職業SASUKE」こと山田勝己と「最強の漁師」長野誠

SASUKE完全制覇を目指して職も失い、自作セットを家に作ってでも目指す山田勝己が織りなす人間ドラマと、人間離れした身体能力と仲間意識の強い長野が奏でる人間的美学が初期から中期のSASUKEの人気を磐石なものとしたと思っている。

小さい頃によくSASUKEを見ていた私からは、子供ながらに山田と長野にはちょっとした特徴があると感じていた。

特徴というのは、SASUKEステージをクリア/リタイアする時に現れる。長野誠は、基本的にSASUKEオールスターズ(いわゆる山田や長野のソウルメイト達)がクリアした回では安定した成績を残す。それに対して山田勝己はむしろ逆で、オールスターズが不調な時に比較的好成績を残すのだ。

この両者の差には、何か精神面に対して決定的な違いがあると感じた。少なくとも、山田勝己に対して私は共感をせずにはいられなかった。なぜなら、私自身も仲間がうまく行っていない時ほど好成績を残せるからである。

自分の経験を元に山田勝己の弱点を考えてみると、それはプレッシャーであろう。いわゆる「オールスターズがみんなクリアしたから山田さんもクリアしてね」という周りの人間の「期待」から来るプレッシャー。

この類のプレッシャーは非常に厄介である。なぜなら、クリアしたとしても「山田さんもクリアした、良かった」で済まされてしまうのに対し、クリア出来なかった場合は、SASUKE会場に強い落胆が広がる。つまり山田当人に旨味がなく、リタイアした時のデメリットが大きい。

私自身もこのことは強く自覚していて、簡単なもので言えばクラスの大縄(出来て当たり前などね?的な期待)や、自分が部活経験のあるスポーツの球技大会(経験あるんだし上手いはずだから好成績残せるよね?的な期待)などでも嫌なプレッシャーを感じていたし、実際に経験者だけで固めてきたクラスに大敗北した時はなんとも形容し難い嫌な雰囲気に包まれ、今でも鮮明に覚えている。

 

 

 

3. プレッシャーの無重力空間へ

 この非常に厄介なプレッシャーに苦しんだ昔の私が無意識に取り始めた行動が、まさしく不言実行である。球技大会や縄飛びなどは一過性のイベントであるため、乗り切ればいい。でも目標や夢は、内田篤人の言葉を借りるとするならば「自分のためのもの」であるため、周りの人間からの期待によって振り回されたく無かった。特に私は目標や夢を知られているだけで、周りから多少なりとも期待されていると考えてしまい、重圧を勝手に背負う生命体である。

そのため、自分にとって重要なものほど「不言」を貫くようになった。この「不言」の効果は、少なくとも私にとっては絶大なもので、周りの人間が全く知らないという事実があることによって余計なプレッシャーを感じなくなるのである。

まさに、

目標は自分だけが知っていればいい。
そこに向かって努力するのも自分だし、達成できなかったときに悔しい思いをするのも自分。
だから目標を周りに知らせることはないでしょ、っていうのが僕の考え。

内田篤人「僕は自分が見たことしか信じない」より引用

 を理想や美学ではなく、手段として行った結果であると思う。

 

今思えば、最初から航空宇宙分野に興味があることを有言した上で第一志望の企業の面接に挑んでいたら、随分と結果は変わっていたと思う。あくまでタラレバではあるが。

世の中の様々な評価は、大体がその時のプレッシャーによって左右されるものが多いと思われる。面接も、英語のアウトプット系のテストも、その他色々なものがそうであろう。

もし、本記事を読んで共感して下さる方がいれば、不言実行を試して見て欲しい。勿論本田圭佑のような方が無理に試す必要はない。

このまま不言実行を続けたとして、終着点はどこであろうか。何も言わないくせに安定した結果を出すことで反感を買うか、それとも、、、。

少なくとも私は、今後も不言を貫く予定である。そしてたまに、実行出来たかを自己分析していきたい。

 

ではではまたまた。